【前編】昭和の台所から始まった父の愛情弁当
「パパのお弁当、また卵焼き入ってたよ!」
昭和50年代、小学生のケンジが学校から帰ると、母にそう言ってランドセルを放り投げた。
茶色いアルマイトの弁当箱を開けると、いつもの卵焼き、ウィンナー、ほうれん草のおひたし、そして真ん中に赤い梅干しがのった白ごはん。毎日ほぼ同じラインナップ。だけどなぜか、飽きない。
その弁当を毎朝作っていたのは、実はパパだった。
工場勤務の早番。朝5時半には家を出るのに、誰よりも早く起きて、静かに台所に立つ。
フライパンで卵を巻きながら、前日の夕飯の残り野菜に醤油をたらして炒める。
煮物や漬物は母が作るけれど、仕上げはいつも父の手。
「男が台所に立つなんて」と周りに笑われたこともあるらしい。
でも父は、「うまい飯で元気が出るんだよ」とひと言。
実はその“うまい飯”、ミネラルの宝庫だった。
卵焼きにはリンとセレン、ウィンナーには鉄分、
おひたしのほうれん草にはマグネシウムやカルシウム、梅干しの塩にはナトリウムとカリウム。
当時は栄養素の名前も知らなかったけれど、体にしみ込む“元気の素”が詰まっていたのだ。
サンミネラル君
【後編】父の味、ミネラルの記憶とともに
あれから数十年。ケンジは今、父となり、東京のオフィスで働いている。
昼はコンビニ弁当か外食が多い。ミネラルなんて、正直あまり意識したことはない。
でも、ふとした日に、あの昭和の弁当を思い出す。
あの卵焼きの味、冷えていても香ばしかった焼き鮭、たまに入っていたひじきの煮物…。
どれも自然と元気が出たあの味。
「最近ちょっと体が重いなあ…」
そんなある日、近所の八百屋で見つけた“ほうれん草の束”を手に取り、なぜか卵も買い込んでいた。
そして久しぶりに、朝の台所に立った。
子どもの弁当をつくりながら、自分の小さな弁当箱にも、卵焼きとおひたしを詰めてみた。
──なんだか、ちょっとだけ元気が戻ってきた気がする。
現代では、加工食品やインスタント食品の普及で、ミネラル不足が心配されることも多い。
でも、昭和パパの弁当のように、シンプルで素朴な食事には、自然なかたちでミネラルが溶け込んでいた。
「うまい飯で元気が出る」
あの時の父の言葉が、今になって胸に響く。
時代は変わっても、“家族を思うごはん”の力は変わらない。
そこにはきっと、愛情とともに、目に見えないミネラルのちからも詰まっているのだ。